夜鷹のカッツェ

後藤カッツェの独り言

お母さんと話してうれし泣きした話

 看護学生の後藤カッツェです。只今母性看護(産婦人科)に実習中です。お母さんと新生児と関わってみて、自分のお母さんへの尊敬の念が増した感じがするのでした。

 

 

 お母さんとサイゼリアでたまに食事をする。お母さんは介護職の正社員で週5で働いており、仕事終わって家事、休みの日に溜まった洗濯物を処理して休む暇が無い。楽しみは撮り溜めたドラマを観る事で、今は東京タラレバ娘を観て笑っている。母はサイゼリアミラノ風ドリアを毎回頼む、中華屋に行けば必ずレバニラ炒め定食。年齢66歳、冒険が怖いお年頃なのかもしれない、でも今日はミラノ風ドリアを頼まずに焼肉とハンバーグの盛り合わせを頼んで後悔していた。何か選択を迫られると結局後悔するのが母の癖で「前のお肉の方が美味しかったのに味が落ちたわ、やっぱり何か違うの頼むとダメね」ミラノ風ドリアを頼んだとしても「結局ドリアばかり頼んじゃって味気ないのよね」と発言する。なにを選んでも後悔するから私を産んだことも後悔しているのかななんてネガティブな感情を抱く時もありました。

 

 

 

 「デカンダ500白とタラコスパゲッティ、海鮮サラダと焼肉とハンバーグの盛り合わせください」私も母と同じでいつも頼むメニューがある。デカンタワインは私の必需品。グラスは1つ、母が食事が終わる頃にちょうど飲み終わる量は500ml、これが私の楽しみ。木曜日まで実習を行って金曜日に学校で記録の整理をする生活をしていて、サイゼリアに行った日は木曜日、金曜日は学校に行くだけだからお酒飲んもいいかなと思いワインを飲みながらお母さんと他愛もない会話をした。この時間も母性実習してからは愛おしいと思えるようになった、以前はなんで私を産んでしまったんだと酔っぱらって嘆いてたのに経験を積むことで考え方も変わるのだなと感じた。

 

 

 実習で人間関係で悩む事があり、母に酒に任せて愚痴ってみた。人の事が信じられない、私は努力しているのにとたらたらと、利害関係者にはできる限り愚痴や悪口を言わないようにしている。元々悪口が苦手で、嫌なことがあったらできる限り本人に伝えたいと思う性分でだから今の環境がとてもストレスだった。(後日めちゃ愚痴ブログ書くぞ)そんな話をしたらお母さんが「あなたは自分を下げて人を立てる性格だから」と評価した発言をしてくれた。”あなた”って言われてちょっと壁を感じたけれど、そのような評価をお母さんに言われるのが衝撃で涙腺が緩みました。私は自分を上げて話すよりも人の立場になって物事を考えたいし、人が落ち込んでたら自分は道化になって人の事を慰めたいと思っていたから、お母さんから私が思ってた自己評価と同じ評価が聞けて嬉しかったのです。一人でも理解者がいたら救われる気がしました。一人だけでも信頼できる人がいたら頑張れる気がした。

 

 

 感情表出が苦手で、今悩んでいる事も誰かに相談するのに時間を要した。でも誰かに言わないと自分の中に悩み(毒素のような)が溜まって肥溜めに片足踏み入れたような感じだった。元々死にたがりの性格だからつい電車に飛び込もうかと思った時があり、このまま放置していると本当に取返しがつかないことになりそうだったから信頼のおける人たちに悩みを相談してみた。信頼している人たちでも、返事してくれないかもしれないと心配してたけれど私の悩みを真摯に聞いてくれて何かあったら助けになると言ってくれる人もいた。お母さんは私の事を理解してくれていて、信頼できる人たちもいる。こんなに幸せな出来事に巡り合えたのも悩み事があったからこそだとも考えられる。どんなに嫌な事が起きても話を聞いてくれる人がいればなんとかなる気がした。

 

 

 きっと私はまだ大丈夫。友人がいるからまだ大丈夫。でもサイゼリアでお母さんと対面した時に「この人誰だろう」と思ってしまった。普段真面目に顔を合わして話してないからかしら、みんなの事も誰なのかわからなくなっていくのかもしれない。人との距離が遠すぎて、だれなのかわからなくなるのかしら。私の顔見ても私であるって認識するのに時間がかかる。ストレスかかるとこのような症状が出る。みんなも私も他人に見えてくる。大事なものってなんだろうって失いがちになるけれど、大事なことを忘れないためにもちゃんと意識して生活していこうと思う。私の友達の**さん。私のために怒ってくれてありがとう。その時心が軽くなりました。まだ頑張れる。お母さんもありがとう、私の事ちゃんとみていてくれてたんだなと思った。そんな感じ。自己評価が低すぎて私を見失いがちになるから、自己評価を上げる努力をよりしたいと思う。

 

 

みんなありがとう、大好きだよ。