夜鷹のカッツェ

後藤カッツェの独り言

3ヶ月間の試用期間を終えて

  4月入社してから3ヶ月が経過して、今月の給与明細とともに本採用通知が来た。自尊心も無く自分なんて誰からも必要とされない。実家暮らしで適当に介護要員として生きていくのだろうと思っていた未来、でも今は人に感謝される仕事が自分にできている。非正規雇用でのらりくらりと生活してた私が正職員になれたのが嬉しくて、職場でニヤついていたら先輩看護師に(この子大丈夫かな?)みたいな顔をされた後藤カッツェでございます。こんにちは。精神科なので表情をよく先輩に読み取られそうになります。こんにちは。今日も元気にやっております。

 

 経営学の大学卒業して何もスキルをえず、得たものといえば肝機能異常。アルコール依存の世界に突入していましたが、数年前から徐々にアルコール量が減りまして今では週に1・2回程度飲むくらい。家で一人で飲む事も滅多にありません。大学ごろは一人でラム酒を一気飲みして眠りにつくといった行為、バイト前に5%アルコール飲料を一気飲みするなどしていました。飲食店だったし客も寛容で「かっちゃん、ひっかけてきたやろ〜〜」と笑い飛ばしてくださいました。アル中だったけど、周囲の人達がとても優しかしてくださって孤独にならずに済んだ事が今の人生が歩めてるような気がします。沢山の人達に酒飲んで罵倒したり泣いたり一人でいなくなったりと迷惑をおかけしました。それでも支えてくれた人いて、依存先が酒以外にある事を知れたきっかけだと思います。健常者は依存する先が沢山あると小児科医の熊谷晋一郎さんは言ってます。熊谷さんは震災時に5階にいたそうで、逃げる方法が歩ける人達は階段やはしごなどを頼る事が出来ますが、熊谷さんには限られている。つまり依存先が少ないという事をおっしゃっておりました。詳しくは下記参照してください。

www.tokyo-jinken.or.jp

 

 アル中は一人で歩けるけれど、社会的に孤独で誰からも助けられる事は無いと言えます。だって関わり持ちたくないと思われる症状でているもの。暴言・暴力・警察沙汰といった泥酔による副症状でまくりの人と関わりを持つといったら体力も時間も精神力も必要です。私がアル中に至るきっかけとして家庭に居場所がないと感じていたところだと思う。家に帰ると父親が一方的に母親を罵倒していたりするし、飛び火して私に文句を言ってくるといった場所には帰りたくなかった。成人して実家暮らしでそこそこお金もあったから居酒屋のバイトを始めてお酒を覚えました。お酒飲むと楽しくなるし、夜遅く帰ってもバイトだから許されるし最高とお酒にどハマりしてきた。家に帰りたくない旨は母親に言っていたけれど、父親と顔を合わせないように生活するしかないねという解決策の提示しかなかった。顔を合わせないためには生活リズムを合わせないようにする。つまり夜型になる事、お酒と相性が良かった。そんな生活続けていた私が今ちゃんと働いている事がとても嬉しかった。稼いだ数万円は全部お酒に消えていった私の若い時代、今では月4万程度はお金が残る。とっても嬉しかった。私の給与明細をみてニヤニヤした顔は健常者にとっては異常だったかもしれない。でも私にとって過去を振り返って感極まった時の表情であった。先輩には心配かけたかもしれない。でも許してほしい。手首ギザギザのアル中がここまで社会復帰できた3ヶ月だから、私にとっては記念日です。人それぞれ思い入れを感じるものが違うから、私は街中でニヤついている人を見てもキモッ!!と思わないでいよう。

 

まだ3ヶ月しか経ってないけれど、新しい目標もできた。私はやっと安定した仕事に就けたので今度は住宅ローンを組むという目標を掲げます。3年勤続したら評価が高くなるらしいので頑張ります。駅近物件を買うぞ!!そこで猫も買うぞ!!頑張るぞ!!